彼女のデザインは女性の社会進出が進んでいた当時の世相と結合し、世界のファッションスタイルに大きな影響を与えた。
彼女がデザインした「C」を2文字組み合わせたモノグラムは現在もCHANEL社のシンボルになっている。
シャネル№5はココ・シャネルを象徴した香水となる。
シャネルは1883年8月19日フランスの修道女会が運営する慈善病院(救貧院)で生まれる。12歳の時、母が死亡し聖母マリア聖心会が運営する孤児院に預けられた。
孤児院での生活は厳格な規律が課せられ厳しく質素であったが、ここで裁縫を学んだことがその後のデザイナーとしての仕事につながる。
シャネルは孤児院のあるフランスのオーバジーヌで6年間裁縫を学んだ後、仕立て屋で職を見つけ、副業としてキャバレーで歌を歌っていた。
ムーランでフランス軍の元騎兵将校で繊維業者の息子であるバルサンと出会う。バルサンは兵役後、両親の遺産を受け継ぎ多大な資産を抱え、プレイボーイで鳴らしていた人物であった。
バルサンの富によってシャネルはパーティでの歓楽、美食に溺れることが可能になり、豊かな生活(ダイヤモンド、ドレス、真珠)を浴びた。
シャネルは競馬狂いであった彼の下で乗馬を学び、馬に熱中し、この経験は後のシャネルのデザインに影響を与える。
1909年、バルサの友人の一人、カぺルと関係を持ち、晩年にシャネルは当時を「二人の紳士が私の熱く小さな体を巡って競り合っていた」と回想している。
カペルは富裕なイギリスの上流階級で、シャネルをパリに住ませ彼女の最初の出店費用も提供した。
カペルの服装スタイルがシャネルのデザインセンスに影響を与え、シャネルNO.5の容器の原型デザインはその時の二人の関係に関わるものである。
1919年12月22日、カペルは交通事故で死亡。
事故現場の道路脇に設置されたカペルの事故の記念碑はシャネルが依頼したものと言われている。
シャネルは友人に「彼こそ私が愛したただ一人の男」と語り、「彼の死は私にとって恐るべき打撃だった。私はカペルを失うことですべてを失った。」と述懐している。
シャネルは戦間期、最も親しい友人で恋人となるセール、行動面と精神面で大きな影響を残す詩人ルヴェルディ、深い恋愛関係を築いたイラストレーターのイリーブらなど政治的・文化的に大きな影響を残す人々と様々にかかわる。
イリーブとシャネルに関して友人は「ココが生まれて初めて人を愛しいる」と発信している。
シャネルはイギリスの貴族との関係を通じてイギリスの上流階級と交友を持つようになった。
1923年、ケンブリッジ侯爵の隠し子と言われているロンバルディはシャネルに最上級の英国貴族社交界に加わることを認めた。
当時40歳のシャネルはロンバルディによって大富豪であるウェストミンスター公に紹介される。
ウェストミンスター公はシャネルに豪華な宝石、高価な美術品、ロンドンの有名なメイフェア地区にある邸宅を気前よく与えた。
彼との関係は10年続き、二人の関係はゴシップ詩に噂されるようほどであり、ウェストミンスター公も仕事を辞めてパートナーになることを求めたが、結婚することは無かった。
シャネルは結婚しなかった理由に「ウェストミンスター公は何人もいました。シャネルは1人しかいません」と答えたと言われている。
1940年、第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるフランス占領の間、ドイツの外交官・謀報員であったディンクラーゲ男爵と交際する。
二人はどこで知り合いいかなる関係を築いたかわかっていないが、シャネルは「長年の友人であった」と語っていた。
戦時中にシャネルはドイツの謀報活動に関与し、1994年9月ホテル・リッツで逮捕される。
しかし、シャネルは数時間で解放される。
理由としてシャネルは「チャールズが私を解放してくれた」とメイドに言ったという。
1947年5月17日、シャネルはシャネル№5の販売利益を受け取る。また、将来の全世界におけるシャネル№5の売り上げの2%について権利を得る。
彼女が得た経済的利益は莫大で1年あたり2500万ドルの収入を得ていたと予測され、当時、最も裕福な女性となっていた。
シャネルは生涯結婚すること無く、子供もいなかったといわれ、晩年、取り巻きの人間はたくさんいたが、彼女を利用しようとする人間ばかりで「孤独だった」と評している。
晩年の彼女の発信として「私の言葉を記事にしようと話を聞きに来る人たちもいるし、私の話に退屈しているくせに、自分の家よりもこの家で食事をする方が多いっていう人達もいる。でもいちばん多いのは、頼みごとをしに来る人達ね。こういう人達がいちばん熱心。お金。。。いつもお金よ」という言葉を引用している。
老境に入ったシャネルは衰え、病を患っていた。
1971年1月、30年以上居住していたパリのホテル・リッツで死去した。
シャネルのアリュール(心的態度)は「何を着るか」より、「どのように着るか」の方がはるかに重要だというコンセプトである。美しく見せようとすることでなく、自然体で堂々としていることが基本であり、シャネルは女性のファッションだけでなく、アリュールをも変えた。
2011年、女性の経済的・社会的地位向上のための活動を支援することを目的とする「シャネル財団」が設立された。